古代占星術

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天文歴

四つの時代:ユガの概念

遠い昔、古代インドの人々は、時の流れを大きな周期で捉える考えを持っていました。これをユガと言い、人の心の成長と衰退を繰り返すものとされていました。最初の時代、サティア・ユガは黄金時代と呼ばれ、人々は神々に近い存在で、徳の高い賢い人々ばかりでした。争いのない平和な世界で、誰もが仲良く暮らし、調和のとれた理想的な社会を築いていたのです。人々の寿命は長く、自然を敬い、共に生きることを大切にしていました。また、目に見えるものだけでなく、心の世界を探求することに熱心でした。この黄金時代は、純粋で偽りのない心と真実がすべてを支配する理想の世界として伝えられています。現代社会で問題となっている、物への強い欲求や他人と競い合う気持ち、争いごとは一切ありませんでした。人々は互いに助け合い、魂を磨き、より高い精神性を求めて生きていました。誰もが満たされた気持ちで日々を送り、心穏やかに暮らしていたと想像できます。この黄金時代は、私たちが目指すべき社会の姿を示すものとして、現代に生きる私たちに大切な示唆を与えてくれます。物質的な豊かさだけでなく、心の豊かさも大切にすること。争いではなく、互いに協力し合うこと。自然との調和を大切にし、地球を守ること。そして、目に見えるものだけでなく、目に見えない心の大切さを知ることで、私たちは現代社会の抱える多くの問題を解決する糸口を見つけられるかもしれません。まるで、遠い昔の祖先からの贈り物のように、黄金時代の物語は、私たちに進むべき道を優しく照らしてくれるのです。
記号

全サインについて

全サインとは、大昔の星詠みたちが用いた星座の分け方のひとつです。現代の星詠みはあまり使いませんが、昔の星詠みの考えを知る上で大切な考え方です。ふたご座、てんびん座、みずがめ座の3つの風の星座が全サインにあたります。これらの星座は、完全星座とも呼ばれ、昔の人はこれらの星座に生まれた人は丈夫な体を持つと信じていました。大昔の星詠みは、人の体質や運命を占う時、この全サインの考え方を重要視していました。3つの風の星座は、それぞれ異なった特質を持っていますが、共通して知性とコミュニケーション能力に優れているとされていました。ふたご座は、好奇心旺盛で情報を集めるのが得意です。てんびん座は、調和を重んじ、人との繋がりを大切にします。みずがめ座は、独創的で革新的なアイデアを生み出す力を持っています。これらの特質は、社会の中で重要な役割を果たすと考えられ、全サインに生まれた人は、指導者や賢者としての資質を持つと信じられていました。現代の星詠みでは、個人の生まれた時の星の配置に基づいた詳しい分析が中心です。そのため、全サインのような大雑把な分類は、あまり重要視されなくなりました。しかし、全サインは、古代の人々がどのように星座を捉え、人の運命を占っていたかを知る手がかりになります。大昔の星詠みの知識を知ることで、現代の星詠みの理解も深まると言えるでしょう。星座の歴史を紐解くことで、星詠みの奥深さをより一層感じることができるはずです。
技法

カルデア占星術:起源と特徴

星々の囁きを読み解く営み、すなわち占星術。その起源を辿ると、メソポタミア、今のイラクにあたる地域に辿り着きます。紀元前数千年前、この地で暮らしていたカルデア人たちによって、カルデア占星術は育まれていきました。人類の歴史の中でも、最も古い占星術の一つと言えるでしょう。カルデアの人々は、高度な天文学の知識を誇っていました。夜空に散りばめられた無数の星々を丹念に観察し、星の運行と地上で起こる出来事の間に、不思議な結びつきがあることを見抜いたのです。彼らは、惑星の位置やその動きが人の運命や社会全体の動きに影響を及ぼすと信じていました。太陽や月、そして五つの惑星、すなわち水星、金星、火星、木星、土星。これらの天体の運行を、彼らは粘土板に楔形文字を用いて記録に残しました。これらの粘土板は、現代の占星術研究において、カルデア占星術の謎を解き明かすための貴重な手がかりとなっています。日食や月食といった天体現象を予測することにも成功しており、その精密な天体観測の技術は、当時の社会において、農作業の時期を決定したり、政治の指針を定めたりする上で、なくてはならない役割を担っていました。カルデア占星術は、後のギリシャ占星術や西洋占星術にも多大な影響を与え、現代に受け継がれる占星術の礎を築いたと言えるでしょう。遠い昔、メソポタミアの夜空を見上げて星々の物語を読み解こうとした人々の叡智は、時を超えて現代の私たちにも受け継がれているのです。
技法

惑星の時間:古代の知恵を探る

惑星の時間は、大昔の星占いを研究していた人々が作り出した時間の分け方です。一日の時間を、当時知られていた七つの星(土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月)に割り当てて、順番に支配させていくというものです。これは、それぞれの星の力が特定の時間に強く現れるという考えに基づいています。惑星の時間は、曜日と深い関わりがあります。それぞれの曜日は、特定の星に対応しているのです。例えば、日曜日は太陽、月曜日は月、火曜日は火星、水曜日は水星、木曜日は木星、金曜日は金星、土曜日は土星の影響を強く受けるとされています。日の出とともに始まる最初の時間は、その曜日に対応する星が支配します。例えば、日曜日の日の出直後は太陽の時間が始まります。その後は、土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月という順番で、次の星の時間が始まります。そして、また土星に戻り、この順番で繰り返されていきます。この一巡は24時間周期となっています。それぞれの星は、特有の性質や力を備えていると考えられています。例えば、土星は規律や忍耐、木星は幸運や拡大、火星は行動力や情熱、太陽は活力や創造性、金星は愛や美、水星は知性やコミュニケーション、月は感情や直感を象徴します。昔の人々は、この惑星の時間を日々の生活に役立てていました。特定の星が支配する時間帯に行動を起こすことで、その星の力を借りて、物事を成功させようとしたのです。例えば、水星の時間に手紙を書いたり、金星の時間に愛を伝えたり、木星の時間に新しい事業を始めたりしていました。惑星の時間は、古代の人々にとって、日々の活動や決断を導く大切な指針となっていたのです。
記号

苦い星座:火の星座の隠された意味

「苦い星座」という言葉は、今はあまり耳にすることはありませんが、昔々の星占いでは、牡羊座、獅子座、射手座といった火の星座を表す言葉として使われていました。これらの星座は、まるで燃え盛る炎のように、周りに光と熱を与え、人々を活気づける力を持っています。しかし、その力強すぎる熱は、時に周りのものを焼き尽くし、痛みや苦しみをもたらすこともあったのです。このような火の星座の特徴を、昔の人は「苦み」という言葉で表現しました。この「苦み」とは、ただ単に辛いとか、悲しいといった意味ではありません。火の星座が持つ強い情熱や、他を圧倒する行動力、そして、一度決めたことはやり通す強い意志の裏返しなのです。例えば、牡羊座の人は、目標に向かって突き進む強い意志を持っています。その情熱は周りを巻き込み、大きな成果を生み出す力となりますが、周りが見えなくなり、他人を傷つけてしまうこともあるかもしれません。獅子座の人は、生まれながらのリーダーとしての資質を持ち、周りを明るく照らす存在です。しかし、その強いプライドが傷つけられると、激しい怒りを露わにすることもあるでしょう。射手座の人は、自由を愛し、常に新しい世界を目指して進んでいきます。しかし、その飽きっぽい性格が、大切な人との関係を壊してしまう原因となるかもしれません。このように、「苦い星座」という言葉には、火の星座が持つ光と影の両面が込められています。その力強いエネルギーは、時に人を傷つけ、苦しめることもありますが、同時に、周りを明るく照らし、活力を与える力も持っているのです。この「苦み」を理解することで、火の星座の真の魅力、そして、その扱いの難しさが見えてくるのではないでしょうか。
占星術の人物

ベロッソス:占星術の伝播

遠い昔、今からおよそ二千三百年ほど前、古代メソポタミアの地にベロッソスという名の神官がいました。彼はバアルという、嵐と豊穣をつかさどる力強い神に仕えていました。人々は雨風を恵み、豊かな実りを約束するバアルを深く崇拝しており、神官であるベロッソスは人々の信仰の中心人物として、神殿で日々祭祀を執り行っていました。ベロッソスは敬虔な神官であると同時に、知的好奇心にあふれた学者でもありました。毎夜、彼は神殿の屋上に立ち、夜空にきらめく無数の星々を熱心に観察しました。古代メソポタミアの人々は、天体の運行と人間の運命は深く結びついていると信じていました。ベロッソスもまた、星々の動きに特別な意味を、その位置や運行から未来を予測する技術を研究しました。天空の星々はまるで、地上の人々の運命を記した巨大な書物のように思えたのでしょう。ベロッソスは粘土板に楔形文字を用いて、自分が観測した天体の動きや星の配置、そしてそれらから読み解いた未来の予言を丹念に記録していきました。現代の天文学の言葉で言えば、彼は惑星の動きや日食、月食といった天文現象を観測し、記録していたと言えるでしょう。これらの粘土板は、長い年月を経て風化や紛失の危機にさらされながらも、現代まで大切に受け継がれてきました。そして現在、ベロッソスが残した粘土板は、西洋占星術の起源をたどるための貴重な資料として、歴史的にも学術的にも高い価値を認められています。彼の残した記録は、現代の占星術師にとって、まさにいにしえの知恵に触れることができる貴重な遺産と言えるでしょう。
占星術の人物

アッシュールバニパル王と占星術

アッシュールバニパル王は、今から約二千七百年ほど前、古代アッシリアという国で王として国を治めていました。紀元前七世紀、鉄の時代と呼ばれる頃です。王は、戦いが得意な力強い指導者として民に知られていましたが、学びを大切にする王としても有名でした。特に、王都ニネベに建てられた図書館は、王の知への強い思いを今に伝えています。この図書館は、当時としては他に類を見ないほど、とても大きなものでした。中には、数え切れないほどの粘土板が保管されていました。粘土板には、楔形文字と呼ばれる古代文字で様々なことが記録されていました。歴史や物語、科学や医療、そして星占いなど、当時のあらゆる知識が集められていたのです。現代の私たちにとって、この図書館はまるでタイムカプセルのように、昔の人の知恵を私たちに教えてくれます。特に、星占いに関係する粘土板は、当時のメソポタミア地方で星占いがどれほど盛んだったかを示す大切な資料です。これらの記録からは、人々が空の星を観察し、未来を予測したり、良いことや悪いことを判断したりしていたことが分かります。現代の星占いの始まりを知るための大切な手がかりと言えるでしょう。王自身も星占いに興味を持っていたようで、政治の大事な決定をするときには、星占い師の意見を聞いていたと言われています。アッシュールバニパル王の図書館とそこに保管された星占いの記録は、古代メソポタミアの人々の高い知性と、王の知に対する飽くなき探究心を私たちに教えてくれる貴重な遺産です。
その他

第五元素、エーテル:意識の謎を探る

天空を満たす、捉えどころのない第五の元素、エーテル。古代ギリシャの賢人たちは、この世の森羅万象は火、水、土、空気の四大元素から成り立つと考えました。しかし、彼らは同時に、天界にはこれらの四元素とは異なる、さらに精妙な何かが存在するとも感じていたのです。それがエーテル、天上の空気を意味する、神秘的な第五元素でした。エーテルは、物質的な実体を持つものではなく、むしろ宇宙の根源的なエネルギーであり、他の四元素すべてが調和し統合されたものと考えられていました。天球を満たし、星々を動かす原動力こそが、このエーテルだと信じられていたのです。この概念は、やがて星々の運行と人間の運命を結びつける占星術にも深く影響を与えました。人間の魂や意識の働き、そして霊的な成長は、このエーテルの性質と深く関わっているとされたのです。現代科学においては、エーテルは物質を伝播する媒質として仮定されましたが、後にその存在は否定されました。しかし、占星術の世界では、エーテルは物質界と精神界を繋ぐ橋渡しとして、今も重要な意味を持ち続けています。目に見えないけれど確かに感じられるエネルギー、直感やインスピレーション、これらはエーテルの働きかけと捉えることができるでしょう。エーテルは私たちの意識の深淵へと続く、神秘の扉を開く鍵なのかもしれません。
アスペクト

リガード:惑星たちの視線

夜空に輝く無数の星々。古来より人々は、その運行に特別な意味を、天体の配置と地上の人間の運命や性格には深い繋がりがあると信じてきました。これが西洋占星術の根底にある考え方です。太陽や月、火星や木星といった惑星たちは、絶えず天空を移動し、その中で互いに特別な角度を形作ることがあります。この角度のことを「座相」と呼び、惑星同士の関係性を示す重要な要素となります。「リガード」という言葉をご存知でしょうか。これは、古代の占星術師たちが使っていた言葉で、互いに座相を形成している惑星同士のことを指します。まるで夜空で星々が互いに見つめ合っているかのように、惑星たちは影響を及ぼし合っていると考えられていました。例えば、太陽と月が180度の角度で向き合う満月の時、地球に及ぼす引力は最大となり、潮の満ち引きが大きくなります。同じように、惑星同士の特別な配置は、地上の人間の感情や行動にも影響を与えていると、古代の人々は考えていました。リガードという言葉は、現代の占星術ではあまり使われなくなりましたが、惑星同士の相互作用を理解する上で非常に大切な概念です。リガードを知ることで、惑星たちが織りなす複雑な関係性を紐解き、占星術の世界をより深く探求することができるでしょう。現代社会は科学技術が発達し、私たちは多くのことを科学的に解明できるようになりました。しかし、古代の人々が夜空を見上げ、宇宙の神秘と人間の運命の繋がりについて深く思いを巡らせていたように、私たちもまた、目に見えるものだけでなく、目に見えないものの影響力について考えてみる必要があるかもしれません。惑星の配置は常に変化しており、私たちもまた、その変化と共に生きていると言えるでしょう。古代の知恵は、現代社会を生きる私たちに、大切なことを教えてくれているのではないでしょうか。
その他

アダド:メソポタミアの星と天気

アダドは、古代メソポタミアで深く崇拝された神であり、天候や天体の運行を司る存在として知られていました。人々はアダドを、恵みの雨をもたらす者としてだけでなく、嵐や洪水といった自然の脅威をもたらす力を持つ神としても認識していました。メソポタミア文明は、チグリス川とユーフラティス川という二つの大河の恩恵を受けて発展しましたが、同時に川の氾濫という脅威にも常に晒されていました。そのため、人々にとって雨は生命の源であると同時に、時に破壊をもたらす両義的な存在であり、アダドはまさにその自然の恵みと脅威を体現する存在だったのです。メソポタミアの人々は、農耕生活を送る上で、気象現象の予測が不可欠でした。そこで、彼らは天体の動きを観察し、気象との関連性を見出そうとしました。これがメソポタミア占星術の始まりであり、アダドはその中心的存在となりました。人々は星々の位置や動きからアダドの意志を読み取り、雨期や乾期を予測し、種まきや収穫の時期を決定しました。また、建物の建築時期や旅行の計画なども、アダドの託宣に基づいて決められました。現代の天気予報のように、アダドの託宣は人々の生活の指針となっていたのです。さらに、アダドは王の吉凶を占う際にも重要な役割を果たしていました。王は国の代表であり、その運命は国家の命運に直結していました。そのため、王の即位や重要な政策決定の際には、アダドの神意を伺う儀式が執り行われました。戦の勝敗や国の繁栄もアダドの力に左右されると考えられていたため、王はアダドへの祈りを欠かさず、神殿を建立して崇拝しました。このように、アダドは国家の守護神として、人々の生活のあらゆる側面に深く関わっていたのです。
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