占星術の歴史

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天文歴

ユリウス暦と占星術

時の流れを正しく捉えることは、人が暮らしていく上で欠かせません。季節の移り変わりを把握し、農業や祭事を適切な時期に行うことは、社会の秩序を維持するために非常に重要です。しかし、古代ローマでは、暦のずれが大きな問題となっていました。当時使われていた暦は月の満ち欠けを基準にした太陰暦でしたが、太陽の動きと一致しないため、季節と暦の間にずれが生じていたのです。このずれは年々大きくなり、農作業や祭事の時期が分からなくなるなど、社会生活に混乱を招いていました。この問題を解決するために立ち上がったのが、ローマの指導者ユリウス・カエサルでした。カエサルは、エジプトのアレクサンドリアで活躍していた天文学者ソシゲネスに、より正確な暦の開発を依頼しました。ソシゲネスは、太陽の動きを基準にした太陽暦を提案し、1年の長さを365日と4分の1日としました。これは、地球が太陽の周りを一周するのにかかる実際の時間とほぼ同じ長さです。また、4分の1日のずれを調整するために、4年に一度、1日を加える「閏年」を設けました。閏年には2月が29日となり、1年の日数が366日となります。こうして完成した新しい暦は、紀元前45年から導入され、カエサルにちなんで「ユリウス暦」と名付けられました。ユリウス暦は当時としては画期的な暦法であり、時間計算の精度を飛躍的に向上させました。これは、農業の効率化や社会生活の安定に大きく貢献し、ローマ帝国の発展を支える礎となりました。ユリウス暦はその後、長い間、ヨーロッパを中心に世界中で広く使われることになります。
占星術の人物

プトレマイオスと占星術

古代ギリシャを生きたクラウディオス・プトレマイオスは、2世紀に活躍した偉大な学者です。天文学、占星術、地理学など幅広い分野に精通しており、今日までその名を残すほどの大きな業績を数多く残しました。中でも、彼が体系化した天動説は、地球が宇宙の中心で、太陽やその他の惑星が地球の周りを回っているという考えで、長い間人々の宇宙観を形作ってきました。また、プトレマイオスは占星術の分野でも大きな足跡を残しました。彼が書き上げた『テトラビブロス(四つの書)』は、現代の星占いにも影響を与えている重要な書物です。『テトラビブロス』は、全四巻からなる大著で、星々の動きと地上の人間世界との関連性について詳しく述べています。そこでは、惑星の位置や動き、星座との関係などが詳細に説明され、人の性格や運命、社会全体の動きなどを占うための方法が示されています。現代の星占いでよく耳にする、黄道十二宮や、惑星それぞれの持つ意味といった基本的な概念は、この書物に由来するものが多くあります。プトレマイオスは、占星術を体系的な学問としてまとめ上げ、その理論的な根拠を提示しようと試みました。プトレマイオスの行った天体観測の精度は、当時の観測技術の限界を考えると驚くべきものです。限られた道具を用いながらも、詳細なデータを記録し、緻密な計算に基づいて理論を構築しました。現代の科学技術から見ると、天動説のように誤りであると証明されたものもありますが、彼の探究心と知的好奇心の深さ、そして学問に対する真摯な姿勢は、現代の私たちにとっても学ぶべき点が多いと言えるでしょう。現代の占星術は、プトレマイオスの思想を土台として発展してきたものであり、彼が残した功績の大きさを改めて認識する必要があるでしょう。
占星術の人物

カルデア人と占星術の起源

遠い昔、メソポタミアという場所にカルデア人と呼ばれる人々が暮らしていました。彼らは西洋占星術の礎を築いたことで知られています。カルデア人は、この世界には始まりも終わりもなく、すべての物事は神聖な秩序によって定められていると考えていました。まるで大きな時計の歯車のように、一つ一つの出来事が緻密に組み合わさり、規則正しく動いていると信じていたのです。この宇宙観こそが、天体の動きと地上の人間生活との間に密接な関わりがあると考える占星術の根幹を成しています。彼らは夜空に輝く星々を注意深く観察し、その運行の規則性をました。そして、太陽や月、星の動きが地上の人々の運命や性格に影響を与えていると考えるようになったのです。カルデア人は高度な天文学の知識を有しており、太陽の動きで一日を、月の満ち欠けで一月を、そして地球が太陽の周りを一周する周期で一年を初めて定めたと言われています。彼らは太陽と月の動きをもとにした暦を作り、農作業や祭事を行う時期を決めるなど、社会生活に役立てました。また、長年の天体観測によって日食や月食といった現象を予測することもできました。これらの天体現象を正確に予測できたことで、人々はカルデア人の知恵に畏敬の念を抱き、彼らの言葉に耳を傾けるようになったのです。現代の私たちが当たり前のように使っている暦や時間の概念も、元を辿ればカルデア人の功績と言えるでしょう。彼らは星々の囁きに耳を澄ませ、宇宙の神秘を解き明かすことで、人々の生活をより豊かにしたのです。
技法

カルデア占星術:起源と特徴

星々の囁きを読み解く営み、すなわち占星術。その起源を辿ると、メソポタミア、今のイラクにあたる地域に辿り着きます。紀元前数千年前、この地で暮らしていたカルデア人たちによって、カルデア占星術は育まれていきました。人類の歴史の中でも、最も古い占星術の一つと言えるでしょう。カルデアの人々は、高度な天文学の知識を誇っていました。夜空に散りばめられた無数の星々を丹念に観察し、星の運行と地上で起こる出来事の間に、不思議な結びつきがあることを見抜いたのです。彼らは、惑星の位置やその動きが人の運命や社会全体の動きに影響を及ぼすと信じていました。太陽や月、そして五つの惑星、すなわち水星、金星、火星、木星、土星。これらの天体の運行を、彼らは粘土板に楔形文字を用いて記録に残しました。これらの粘土板は、現代の占星術研究において、カルデア占星術の謎を解き明かすための貴重な手がかりとなっています。日食や月食といった天体現象を予測することにも成功しており、その精密な天体観測の技術は、当時の社会において、農作業の時期を決定したり、政治の指針を定めたりする上で、なくてはならない役割を担っていました。カルデア占星術は、後のギリシャ占星術や西洋占星術にも多大な影響を与え、現代に受け継がれる占星術の礎を築いたと言えるでしょう。遠い昔、メソポタミアの夜空を見上げて星々の物語を読み解こうとした人々の叡智は、時を超えて現代の私たちにも受け継がれているのです。
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ヒッパルコス:天文学と占星術の礎

古代ギリシャ時代に活躍したヒッパルコスは、天文学の礎を築いた偉大な学者です。その功績は現代の天文学だけでなく、星占いにも大きな影響を与えています。彼は、当時常識とされていた考えに疑問を持ち、地球が自らの軸を中心に回転しているという画期的な説を初めて唱えました。さらに、彼は地球の大きさを測る方法を編み出し、その直径を計算しました。その精度は驚くべきもので、現代の測定値と比べても遜色ないほどです。夜空に輝く星々は、当時、天球という大きな球体に固定されていると考えられていました。しかし、ヒッパルコスは長年の観測を通して、星の位置が少しずつ変化していることに気づき、生涯をかけて数百もの新しい星を発見しました。そして、それらの星の明るさや位置を記録し、詳細な星図を作成しました。この星図は、のちにプトレマイオスが地球を中心とした宇宙のしくみを考える際の重要な資料となり、天動説の確立に大きく貢献しました。ヒッパルコスの残した観測記録と星の位置測定の技術は、その後の天文学の発展に欠かせないものとなりました。彼の精密な観測と計算、そして独創的な発想は、宇宙の謎を解き明かすための道を切り開いたと言えるでしょう。現代の天文学と星占いは、ヒッパルコスの功績なくしては存在し得なかったと言っても過言ではありません。彼の偉大な業績は、今もなお私たちに多くの示唆を与え続けています。
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天王星発見者:ハーシェル

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ハーシェルは、1738年、ドイツのハノーファーで音楽一家に生まれました。父はオーボエ奏者であり、ハーシェル自身も幼い頃から音楽の才能を開花させました。兄弟と共に楽団で演奏するなど、音楽は彼の生活の中心でした。しかし、ハーシェルの興味は音楽だけにとどまりませんでした。ある時、彼は偶然手に取った天文学の本に心を奪われ、星空の世界に強い興味を持つようになりました。音楽家としての道を歩みながらも、ハーシェルは天文学への情熱を募らせていきました。彼は独学で天文学を学び、天体の運行や星座について深く理解しようと努めました。そして、自分の目で宇宙の神秘を確かめたいという思いから、望遠鏡の製作を始めました。レンズを磨き、鏡筒を組み立て、試行錯誤を繰り返しながら、より遠くの星々を見ることができる望遠鏡を作り上げていきました。ハーシェルは自作の望遠鏡を使って毎晩のように天体観測を行いました。夜空に広がる無数の星々を眺め、星の位置や明るさ、動きを記録していきました。膨大な量の観測記録は、後の天文学研究に大きく貢献することになります。彼は音楽家としても成功を収めていましたが、天文学への探求心は尽きることなく、やがて彼の人生は大きく変わることになります。1781年、ハーシェルは自作の望遠鏡で天王星を発見するという偉業を成し遂げます。これは、近代天文学における重要な発見の一つであり、ハーシェルの名は歴史に刻まれることとなりました。音楽への情熱を持ちながらも、天文学の道を切り拓いたハーシェルの飽くなき探求心と努力が、偉大な発見へと繋がったのです。
技法

ヘレニズム占星術:誕生の秘密

星々の運行を読み解き、人の運命や性格を探る占星術。様々な流派が存在しますが、その源流の一つにヘレニズム占星術と呼ばれるものがあります。これは、古代バビロニアとエジプトの知恵が融合して生まれたもので、現代占星術の礎を築いた重要な体系と言われています。ヘレニズム占星術の特徴の一つに、「アセンダント」という概念の導入があります。アセンダントとは、人が生まれた瞬間に東の地平線に昇っていた星座のことです。これはその人の人生における方向性や性格を示す重要な指標と考えられていました。例えば、しし座がアセンダントの人は、華やかでリーダーシップを発揮する傾向があるとされます。一方で、おとめ座がアセンダントの人は、分析的で几帳面な性格を示すとされています。このように、生まれた時の空の様子が、その人の人生に大きな影響を与えると考えられていたのです。ヘレニズム占星術は、ギリシャ語で「ホロスコポス」と呼ばれていました。これは現代の占星術で用いられる「ハウス分割」の起源とも言われています。ハウス分割とは、空全体を12の区画に分け、それぞれに意味を持たせるという考え方です。各ハウスにはそれぞれ象徴する事柄があり、例えば第一ハウスは自分自身、第七ハウスは人間関係などを表します。生まれた時の惑星の位置とハウスの組み合わせによって、より詳細な占いが可能になったのです。紀元前の数世紀に誕生したヘレニズム占星術は、個人の生まれた時の惑星の位置や星の配置から、その人の運命や性格を占うというものでした。これは、今日私たちが知る出生図に基づいた占星術の最も初期の形と言えるでしょう。現代の様々な占星術の根底には、このヘレニズム占星術の考え方が脈々と受け継がれているのです。
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ガリレオと西洋占星術

ガリレオ・ガリレイは1564年、芸術と文化が花開くイタリアのピサで誕生しました。音楽家の父の影響を受け、幼い頃からリュートの演奏に親しみ、芸術的な感性を育んでいきました。しかし、彼の真の情熱は自然界の謎を解き明かすことにありました。少年時代から、ガリレオは身の回りの現象に強い好奇心を抱き、何時間もかけて観察や実験に没頭しました。揺れるランプの周期が一定であることに気付くなど、鋭い観察眼は既にこの頃から発揮されていました。ピサ大学に進学したガリレオは、当初父の意向で医学を学ぶことになりました。しかし、彼の知的好奇心は医学の枠に収まりませんでした。授業よりも数学や物理学の講義に惹かれ、やがて医学の道を諦め、自らの情熱に従って数学と自然哲学の研究に打ち込むようになりました。当時主流であったアリストテレスの学説に疑問を抱き、実験と観察に基づいた独自の研究を展開していったのです。ガリレオの探究心は、やがて天体の観測へと向けられました。オランダで発明された望遠鏡の話を聞きつけると、自ら改良を加えた望遠鏡を製作し、月や木星、金星などを観測しました。そして、月の表面が滑らかではなくクレーターで覆われていることや、木星の周りを回る衛星を発見し、従来の宇宙観を覆す革新的な発見を次々と成し遂げました。これらの功績は、現代に伝わる天文学の礎となり、人々の宇宙への理解を大きく前進させるものとなりました。彼の飽くなき探究心と鋭い洞察力は、現代の科学者にとってなお、大きな刺激となっています。
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タレス:日食を予言した賢人

遠い昔、紀元前七世紀から六世紀にかけて、古代ギリシャにタレスという賢者がおりました。彼は広く深い知識を持ち、当時「七賢人」とたたえられた一人で、故郷はイオニア地方のミレトスという都市でした。タレスは思索を好み、哲学、数学、天文学など様々な分野に精通していました。特に彼は万物の始まりは水だと考え、雨や川の流れ、海の様子など、身の回りの自然の出来事を神々の気まぐれではなく、自然界の決まりによって起こると説明しようとしました。これは当時としてはとても斬新な考え方でした。周りの人々は、雷や嵐といった不思議な現象を神々の怒りだと信じていたからです。タレスの見方は、のちの西洋の学問の土台となる、自然科学の考え方の始まりといえるでしょう。タレスの知的好奇心は並外れたものでした。彼は知識を求めて遠くエジプトまで旅をし、そこで幾何学や天文学を学んだと伝えられています。エジプトでピラミッドの高さを測ったという逸話も有名です。彼は影の長さの関係を利用して、ピラミッドの高さを正確に割り出したといわれています。タレスの残した功績は計り知れません。彼の研究や考え方は、後の時代の学者たちに大きな影響を与え、西洋哲学や科学の基礎を築く上で重要な役割を果たしました。現代の私たちの生活も、遠い昔にタレスが開いた道をたどって発展してきたと言えるでしょう。
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占星術の古典:テトラビブロス

星々の動きと人の営みの結びつきを探求した書物「テトラビブロス」は、今からおよそ1800年以上前、古代ギリシャの知の巨人、クラウディオス・プトレマイオスによって記されました。天文学者であり占星術師でもあったプトレマイオスは、2世紀にこの大著を完成させました。これは、西洋占星術の歴史において最も古い書物の一つであり、現代の星占いにも脈々と受け継がれる知識の源泉となっています。テトラビブロスは、天体の運行と地上における人間の暮らしとの関連性を、秩序立てて説明した画期的な書物です。当時の知恵を結晶化したこの書は、星占いを単なる迷信や占いとしてではなく、自然の摂理に基づいた学問として確立しようと試みたプトレマイオスの強い思いが込められています。彼は、星々の位置や動きが、人の性格や運命、さらには社会全体の動きに影響を与えると考え、その関係性を詳細に分析し、体系化しました。プトレマイオス以前にも、星々の動きを観察し、吉凶を占う試みは行われていましたが、それはどちらかといえば経験的な知見に基づくものでした。しかし、プトレマイオスは、テトラビブロスの中で、幾何学や数学などの理論を用いて占星術を説明することで、占星術を経験的な知見だけでなく、学問的な裏付けを持つものへと高めたのです。その緻密な理論体系と膨大な知識は、後世の占星術師たちに多大な影響を与え、西洋占星術の基礎を築きました。現代でも、テトラビブロスは占星術を学ぶ者にとって必読書であり、古代の叡智に触れることができる貴重な文献となっています。まるで、遠い昔に記された知恵の光が、現代まで届いているかのようです。
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西洋占星術の古典:テトラビブロス

西暦2世紀の古代ローマ帝国時代、ギリシャ出身の学者プトレマイオスが記した『テトラビブロス』は、西洋占星術の歴史において極めて重要な書物です。原題はギリシャ語で『数学全書』という意味で、天文学全般を網羅した大著でした。その中の一部分が占星術を扱っており、後にラテン語で『四つの書物』を意味する『テトラビブロス』と呼ばれるようになりました。現代の西洋占星術の礎を築いた本として、現在に至るまで多大なる影響を与え続けています。プトレマイオス以前にも星占いに関する書物は存在しましたが、『テトラビブロス』が画期的だったのは、それまでの知識を体系化し、理論的な根拠を与えようとした点です。当時の宇宙の考え方や哲学を土台として、星の動きと地上における人間の暮らしとの関わりについて詳しく論じています。例えば、太陽や月、惑星といった天体の位置や相互関係が、人の性格や運命、社会全体の出来事にどう影響するかを説明しています。そこには、天と地は互いに影響し合うという考え方が見て取れます。プトレマイオスは天文学者でもありました。『数学全書』には高度な数学的知識に基づいた天体観測の記録や惑星の動きの計算方法なども含まれています。彼は、占星術を天文学から派生した応用科学と考えていました。そのため、『テトラビブロス』は単なる占い指南書ではなく、当時の宇宙観や自然哲学を理解するための貴重な資料でもあります。現代の占星術師にとっても、歴史的背景を知る上で欠かせない古典と言えるでしょう。現代の科学とは異なる視点ではありますが、先人たちがどのように宇宙と向き合い、自然現象を理解しようとしていたのかを学ぶことができるのです。
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アッシュールバニパル王と占星術

アッシュールバニパル王は、今から約二千七百年ほど前、古代アッシリアという国で王として国を治めていました。紀元前七世紀、鉄の時代と呼ばれる頃です。王は、戦いが得意な力強い指導者として民に知られていましたが、学びを大切にする王としても有名でした。特に、王都ニネベに建てられた図書館は、王の知への強い思いを今に伝えています。この図書館は、当時としては他に類を見ないほど、とても大きなものでした。中には、数え切れないほどの粘土板が保管されていました。粘土板には、楔形文字と呼ばれる古代文字で様々なことが記録されていました。歴史や物語、科学や医療、そして星占いなど、当時のあらゆる知識が集められていたのです。現代の私たちにとって、この図書館はまるでタイムカプセルのように、昔の人の知恵を私たちに教えてくれます。特に、星占いに関係する粘土板は、当時のメソポタミア地方で星占いがどれほど盛んだったかを示す大切な資料です。これらの記録からは、人々が空の星を観察し、未来を予測したり、良いことや悪いことを判断したりしていたことが分かります。現代の星占いの始まりを知るための大切な手がかりと言えるでしょう。王自身も星占いに興味を持っていたようで、政治の大事な決定をするときには、星占い師の意見を聞いていたと言われています。アッシュールバニパル王の図書館とそこに保管された星占いの記録は、古代メソポタミアの人々の高い知性と、王の知に対する飽くなき探究心を私たちに教えてくれる貴重な遺産です。
天文歴

占星術と天文暦:歴史と未来

暦とは、日々の暮らしを月や年といった大きな時間の流れに沿って整理するための道具です。これに、太陽や月、惑星といった天体の動きに関する情報を加えたものが天文暦と呼ばれます。その歴史は古く、古代アレクサンドリアのギリシャ時代にまで遡ります。現代では、携帯電話などで手軽に情報を得られますが、当時は天文暦が人々の生活に欠かせない貴重な情報源でした。天文暦には、単なる日にちだけでなく、太陽や月、惑星の位置が詳細に記録されていました。いつ日の出が来て、いつ日の入りが来るのか。月は満ち欠けの状態はどうなのか。火星や木星といった惑星はどの星座の位置に見えるのか。こういった情報が事細かに記されていました。また、日食や月食といった特別な天文現象についても、天文暦にはその発生日時が予測されていました。日食や月食は、昔の人々にとって大きな出来事であり、その予測は社会的に重要な意味を持っていました。さらに、潮の満ち引きといった情報も天文暦には含まれていました。潮汐は漁業や航海に大きな影響を与えるため、その予測は人々の暮らしに直結していました。農耕においても天文暦は重要な役割を果たしました。種まきや収穫の時期を判断するのに、天体の動きは欠かせない指針でした。例えば、特定の星座の位置を基準に農作業を行うことで、収穫量を高めることができると信じられていました。また、航海においても天文暦は必要不可欠でした。羅針盤が発明される以前、広大な海を航海する人々は、太陽や星を頼りに船を進めていました。天文暦に記された星の位置情報は、まさに航海の羅針盤だったのです。そして、天文暦は占星術にも深く関わっていました。天体の運行は人々の運命に影響を与えると考えられており、天文暦に記された惑星の配置などをもとに、未来を予測したり、吉凶を判断したりしていました。このように、天文暦は単なるカレンダーを超えた、古代の人々にとって非常に重要な情報源でした。
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